ウッドバインのさよならカフェ

ウッドバインのさよならカフェ
Woodbineという、ちいさなちいさな町へ、仕入れ+観光に行ってきました。

街中の、人気のあるディーラーさん主催のお屋敷開放セールだったり
しますと、早朝から列が出来る程込み合っているのがほとんどです。

アンティークチェアーだけ集めている人、ルーペ持ってジュエリー専門、、、
南北戦争歴史もの、みなさんお目当てが、色々あるわけです。笑。

そんな中では、仕入れの様子画像を撮る余裕はありませんが、
今回は、小旅行がてら、のんびりお昼に到着予定、カメラ持参で出発しました。

お天気もよく、ウキウキ田舎道を進みます。

途中で見かけた、古いホッタテ小屋画像をご紹介。

大草原のちいさな家のローラが出てきそうです。

これ、今年の冬を越せるのかしら?

と疑問が残る原っぱの真ん中にある小屋たちです。





















ウッドバインという、ちいさな町に入ります。













お目当てのちいさなヴィクトリアンハウス、
このお宅で開放セールをしています。


日本のお人形があったり、中国のお皿など、
アジアンチックなものが多いお宅。。。
ちょっと理解不可能なのです。

街中で米軍基地があるあたりなら、
米軍兵士と結婚して、外国からやって来た方はいます。
でも、こんな地の果てみたいな田舎で?










と、考えながら、ああ、素敵~と、大きなアーモアにうっとり。
とてもしっかりしたつくりでしたので、思わず買い取ろうかと
思いましたが、ガマンガマン。




そんなわたしを誘惑するかのように、色々素敵なアンティーク・ファニチャーが
登場します。。。他にもゴロゴロありました。買った方がご自分で運んでください。
という張り紙に涙。笑。引越し屋さんやレンタカーもない町ですので
自前トラックでやってきていない限り、購入は無理なのです。




結局、小物を数点仕入れ、写真を少し撮らせてもらい、
おしゃべりを楽しみました。

そしておなかが空いたので、多分、町に1つしかない?カフェを紹介してもらいました。









途中、誰もいない舗装もされていない道路におり、写真をとったり
のんびりしていたため、カフェについたら、ランチタイムはとっくに終了、
夕方まで開きません。ショック~!

ドア開いてない~、2時までだって~!と叫んでいたら、
中から、「横のドアから入ってらっしゃいな」 と呼ぶ声が。。。
うろうろしながら、入っていきますと、中はとてもアットホームな雰囲気。


「ランチ終わっちゃったから、今コーヒーとチーズケーキしかないけど、いい?」
と聞かれ、じゃあ、、、と頼みますと、とっても美味しい!


オーナーのおばさんが、ちょっとクセのある英語で気さくに話かけてきます。
わたしとダンナに、

「なんでカンザスに来たの?」 と聞く彼女。

「仕事で、、、」 と答えるダンナ。

「仕事があって来るならいいわね、わたしドイツ人よ!」 

だんなは、「!???」

わたしは、すぐにわかりました。

「わたしドイツ人よ!」があらわす全て。笑。

もともと自分の国にいて、その国の言葉を苦労なく話すあなた、
少し土地が変わっても仕事があって、そして自分の努力を
充分に活かせる環境にある、ということなのです。

わたし、ドイツ人よ!
の裏には、英語の勉強、外国生活になれるための苦労、
全てが凝縮されているのです。

そしてわたしの想像通り、このカフェのオーナーは、
彼女のこの26年間のアメリカ暮らしを語り始めました。
冗談交えて。笑。

26年前に、当時ドイツ駐在だった米軍兵士の彼とともに、ドイツより
このカンザスへやって来ます。二人でカフェを始める準備をし、
もう少しでオープン、まで来た時、彼は突然彼女のもとを去っていきます!

(だから、カフェの名前がドイツ語でさよなら?みたいです。)

当時、英語もろくに話せず、家族も友人もいなかった彼女、
アメリカ大陸のド真ん中に取り残され、唯一残ったのは、
田舎でほとんど価値もない開店前のカフェの土地と建物、、、

普通だったら、国に帰りますよね。。。

でも、彼女は、ドイツ家庭料理を出すカフェとして頑張り、
ここで見事に生き残ったのです。再婚もして子供にも恵まれ、
今はお嬢さんと2人で、このカフェを切り盛りしています。
お孫さんもいるそうです。

今は、もうここに根をはって、ドイツに帰ろうとは思わない。と
人生の半分以上をアメリカで過ごした彼女のコメントでした。

ちなみに、彼女から去ったもとのだんなさん、その後また
ドイツからドイツ人女性を引き連れて帰国したと、風の便りだったそうです。

「学ばない人よね~~!!」だそうで、、、、笑。

そして、わたしを見て、「ほにゃららさん宅のお孫さん?」
と聞かれました。そのほにゃららさん宅とは、先ほどのセールのお宅です。

「違いますけど、どうして?」 と聞いたら、あのお宅のおじいさんは
中国人なのよ。奥さんはアメリカ人(白人)だけど。」って。
そしてあのセールのお品は彼らの長年のコレクションだったそうです。

だから、日本や中国のお品があったんだ、と今納得。
(わたし日本人だけど、と思いつつ。。。笑)

そして、なんでこんな田舎で、白人しかいないような町、
しかも大昔の白人のお嬢様に、中国人男性が向かえ入れられたのか?

謎は深まりますが、結局は、ユニオン・パシフィック鉄道の歴史が
全てを語ります。このアメリカ大陸を横断する鉄道を敷いたのは、
中国からの当時の労働者たちでした。

その労働者の青年、もしくはその子孫?の男性と恋に落ちたのが
その女性だったのですね。(年齢不詳ですが、かなり高齢のようです)

町のキャッチフレーズが、鉄道と旧街道が交差する町。
なるほど。。。

←これは、カフェの手描き看板。

町中が全員知り合いみたいな小さな町。
そこにも、色々なドラマはあって。でも、出会った人々
みんな温かくて素敵な人たちでした。

チーズケーキとコーヒー代をたずねたら、いらない、と言われました。
それでも、じゃあって気持ちだけのチップを置いて、お礼を言い外に出ました。

最後に、カフェのオーナーさんから聞いた言葉にびっくりしましたが、、、

「ああ、あのほにゃららさん、アンティークのコレクションが多すぎて、
それを収納するために、また2軒家買ったばかりなのよ。」

すごい!本当!??だそうです。笑。