2008年3月

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アンティーク・ハット
わたしは、アンティークのドレスやお帽子、そしてシューズなどが大好きで、
こういった関係のお品たちが手に入りますと、それはもう、ただの布ではなく、
大げさですが、歴史の一片を手にしたような、嬉しい感覚なのです。

先日、きれいなお色のベルベットのお帽子が旅立って行きました。
1920年代頃のフラッパーガールなどが、着用したものかと思うのですが、
旅立ったお家から、送って頂いた画像を拝見して、新鮮!!

このお帽子の新しい持ち主である、とても可愛いお嬢さん。
彼女ががかぶりますと、サイズがゆったり、まるでルネッサンス風の素敵なイメージです。どこか、アーティな雰囲気までします。あまりに似合っていて、本当に感心しました。彼女のお母さんが、青い瞳に、またお帽子の青味が映りキレイ。とおっしゃっていました。おしゃれして、お出かけでしょうか。 お帽子、飛ばさないようにね!( ^-^ )*.,

*Aさま、きれいな画像をお寄せくださり、どうも有難うございました。 

~素敵な画像を送ってくださったお客様方へ~
いつも嬉しく拝見させて頂いております。全てをご紹介出来ませんが、
お客様のお便りや画像等は、本当に、キャラメルの原動力です。
この場をおかりしまして、お礼を申し上げます。有難うございます!! 
m(_)m 
イタリアのいとこ
先日、友人宅へディナーに招待されました。
このお宅は、ダンナさんがカンザス出身、奥さんがカリフォルニア出身、
今は、可愛い8歳の男の子がいて、犬2匹に子猫1匹、広い芝生のお庭に
白い柵のあるお家。 まさにアメリカン・ファミリーと言った感じです。

ちょうどカリフォルニアから、奥さんのお母さんが、来ていました。
このお母さん、イタリア系3世なのです。彼女のお母さん(2世)
まではイタリア語OKだったそうですが、今では、アメリカにいる
ファミリーは、誰もイタリア語は話せないそうです。

そんな彼女も、1度イタリアへ渡ったことがあるそうです。
自分の母親から聞いた話や情報を頼りに、南イタリアの小さな漁村、
自分の家族のルーツである土地に1人旅立ちました。

自分のいとこ達が住んでいるはずの町に着きました。
タクシーに乗る際、昔に送られて来たイタリアの家族の写真を運転手さんに
見せたそうです。ちいさな田舎町ならでは。なんと運転手さんは、「わかった!」
と言った様子で、彼女をちいさなお家の前まで連れて行きました。

「ここに、自分と同じ血筋のファミリーがいる。」

緊張しながらドアをノックして、カタコトのイタリア語を並べ立てて、
家族の写真を見せて、そこで彼女は、自分のいとこ達とはじめて
逢ったのです。「本当にこの家であっているのかな?」と不安ながらも
壁に並んである、古い写真に気がつきました。

そこには、若い頃アメリカに渡ってきた、自分のおばあさんの
写真が飾ってあったそうです。

そして、さらに彼女の母親の子供の頃の写真、昔に、手紙で送られて来た
いとこ達の子供の頃の写真も。「ここだ!」と、来るべき家に辿り着きました。
その後は、もう、自称親戚がどこからともなく、大勢集まり、
全然わからないイタリア語を浴びて、夜、自分のホテルに戻りました。

翌朝、ホテルの部屋をノックする音が。 まだ8時前です。

起きだして、ドアを開けると、昨日のいとこたちがいます。
ぺラぺラと話ながら、しぐさなどでわかったのが、
「こんなホテルにいないで、家族なんだから、うちに泊まりなさい!!」
なんと朝一番に、彼女を向かえに来たのです! どんどん荷物を運び出し、
チェックアウトさせられ、それから数日間、帰国までいとこのお家で
とても親切にしてもらったそうです。

彼女は、わたしに言いました。
「逢ったこともないような、外国から来たいとこをホテルまで迎えに来て、
そして自分の家に、当たり前のように迎え入れるなんて。わたしなら出来ない。」と。

知らない人を、自分の家に招き入れるのが怖いという、今のご時世+
アメリカならではのコメントでした。それはそれで当然だと思うのです。
反対に、家族なんだから、とドアをオープンして彼女を招き入れたイタリア側も、
それはとても素敵で、自然な家族の行為だと思いました。

自分が育った、常識の範囲から出ることはなくても、
彼女はふと、彼女の母親が生きていた頃のことを思い出したそうです。

近所にいる労働者や、お金があまりなくて、
おなかすかしている人がいると、必ず、夕飯などを
多めに作り、彼らに分け与えていたことを。それを知って、
何人かは、夕飯時にドアの外で待っているようなことも
あったそうです。

「そんな知らない人に、ドアを開けてご飯あげるなんて。。。。」
と言う、まだ子供だった彼女に、母親は言いました。

「自分を頼って、たずねてくる人を追い返すことは出来ないよ。」

彼女のイタリア移民の歴史や、家族を大切にするイタリアの文化
などを聞きながら、飲んでいた赤ワインのせいもあったのでしょうか、
わたしはとても感動して、思わず涙ぐむところでした!笑。

彼女は、イースターが終わる頃、カリフォルニア、サンディエゴに帰っていきます。

画像:木製イタリアン・ギルトBOX 
St. Patrick's Day
今日は、アイルランドのお祭り、聖パトリックの日ですね。

緑の大地と呼ばれるアイルランド、シャムロック(クローバー)カラーをテーマに、アメリカでも、パブやバーで緑のビールを飲んだり、アイリッシュ・ミュージックやダンスを楽しみ、大賑わいの1日です。この日、緑色の服を着ていない人は、みんなにつねられる、という妙な風習が有名ですが、実際みんなふざけてやっています。笑。

この日、グリーンカラーのものを身につけるのを忘れた人の言い訳→「いや~、着用してるんだけど、見せられなくて残念だ。」 (下着で着用していると言い張る。笑)

アメリカは移民で出来た国ですが、そのふるさとの国としては、ドイツ系が1番多く、そして2番目がアイルランド系だそうです。大飢饉の災害にあったアイルランド人たちは、新天地アメリカに希望をたくし、1850-1930年の間には、なんと450万の人々が、アメリカに渡って来ています。

国民の5-6人に1人は、何かしらアイルランド系の血筋が入っている計算だそうです。うちのダンナも、アイルランド系の血筋が少し入っています。赤毛の人が多いアイルランドですが、うちのだんなのひげに、赤毛が出ると、「おお、アイリッシュ!」 とへんなところで感動します。

本人曰く 「ストレスだ!」そうで。。。  赤毛がストレス!? 初耳です。笑

Spring
3月に入り、少しだけお天気がマイルドになって来ました。

冬の間、外に出たとたんに、(寒くて)顔が痛い!ということが多かったのです。
野外で、アンティーク・オークションなどがありましたが、
ライブ・オークションは、長丁場。 あまりの寒さに、帰る!と叫んだ私です。笑。

お写真は、裏庭から見える大木にある鳥の巣です。
なぜにまた、あんな高いところに。。。。



雨、雪、氷、突風に耐えてついに春。
鳥さんのおうちは、無事に冬を越しました。木が大揺れに揺れていても、
巣は無事なものなのですね。なんだか感心しちゃいます。




先日、冬の間は閉まっていた植木屋さんがついに再オープンしました。
COX FARM(以前のブログでご紹介した八百屋さん)も、もうオープンかしら?




早速、ちいさな春をお家に取り入れようと、チューリップや、ハーブを購入しました。

嬉しいなあ、、、、春だなあ、、、、。 しみじみ。笑。 
クッキー
美味しいチョコチップを一袋買ってきて、クッキーを焼きました。
チョコチップのパッケージの裏に、クッキーのレシピがありますので、
素直に従います。まず、これで失敗することはありません。笑。
今日も、簡単においしく出来上がりました。

アメリカの多くの子供たちは、18歳で親元を離れます。
ルームメイトと一緒に、アパートを借りたりするのが当たり前なので、
経済的にも、無理なことではないのです。

そんな彼らは、パーティーなどがあると、男女とわずに、
気軽にクッキーを焼いたりしています。お客さんが来る前に、、、、
ではなく、お客さんと一緒に、キッチンでお喋りしながら、
紅茶をいれたり、オーブンの具合を見たりしています。
それがまた、なんとも言えない楽しいひと時なのです。

アメリカンの彼らが親元を離れて、恋しいと思う食べ物の1つが
各家庭で手作りされたクッキー。好みによって、レーズンに
オートミール・クッキーが一番の人もいれば、チョコチップが一番の人もいます。

ちいさな頃のクッキー作りの思い出などに重なって、
大人になってもクッキーは、精神的にやさしい食べ物のようです。
失恋したお友達をなぐさめるのに、話を聞きながら、熱々クッキーを
オーブンから出す友人。。。そんな場面が日常に良くありました。

わたしは大学時代に、クッキーを焼こう!と言う友人とウキウキ
粉を混ぜたりしていたら、みんな焼く前に、クッキーのもとを食べちゃって
(クッキー・ドー、こねて焼く寸前の甘くて美味しい状態です)
焼かずに終わったクッキーの思い出があります。身体に悪そう!?
ビーフ・ジャーキー
チャイルド用やベビー用の、ちいさなシューズ。
ガラス・ボタンUPの、レザーブーツなどは、本当に可愛いものです。
ただ、さすがに”靴”ですので、コンディションの良いものを見つけるのは、大変です。

画像のチャイルド・シューズ。
見た途端に、「ビーフ・ジャーキーみたい!!」 と叫んでしまいました。
その場にいた一同で大笑い。 ぺッタンコ。 トランクの一番したで、
他のものに埋もれて、この状態になってしまったそうです。

その他も穴が開いていたり、擦り切れているシューズをたくさん見ました。

その場にいたご婦人が、

「カンザスのような内陸部では昔、物資が豊かでなかったから、
一足の靴でも、一枚のお洋服でも、ふつうは、何人もの子供が着用したのよ。」
と言っていました。

それを聞いて、ボロボロの靴も、きっと姉妹で履いたり、その後は、
ご近所の子へ受け継がれた様子を思いました。

何人もの子供たちの足を守ったブーツ。
 
コミュニティで助け合って、寒い冬を越し、みんな頑張って生きてきたと
言います。今のように、飛行機もセントラルヒーティングもスーパーもないヴィクトリア時代。

大陸を横断する鉄道が通り、カリフォルニアからのオレンジをはじめて手にします。
当時は、ご馳走だったそうです。

物質的に豊かでなくても、ご近所で助け合ったり、
心はきっととても豊かだったんだろうなあ~、なんて、勝手に想像していましたが、
コミュニティーのみんなで支えあわなければ、生き残ることが出来なかった 
「パイオニア(開拓)時代」 だそうです。

画像: バギーに一緒の双子の兄弟。つるんとした頭が可愛いです。笑。