信濃路 ~小布施~

信濃路 ~小布施~
長野駅から東北へ、チンチン電車で数十分、やって来ました小布施町。
初めてこの町に来たのは、私がまだ小学校に入ったばかりの頃。
栗が名産で、栗にちなんだ銘菓や、昔、宣教師が建てた
チャーチと病院、などを覚えていました。






今は、栗の木はあまり残っていないようですが、
昔の瓦屋根に漆喰・土壁など、古い建物の並びを見て、
ああ、小布施に来たんだな、なんて思います。















*写真は、戸隠の蕎麦茶、そして、竹風堂の栗ようかん。
栗のつぶが小倉ようかんに、どん!ではなく、
生地に練りこんであるのが特徴かと思います。
甘すぎず、栗の風味がふんわりと、大変上品なお味です。
今は、東京駅などJR主要駅でもお求め頂けると思います。






全国的に、それ程有名な観光名所ではないと思うのですが、
それでも、セーラ・カミングスさんが、(小布施の造り酒屋・枡一さん社長)
積極的に小布施PRを行い、かなり有名になったかもしれません。

私が小学校の頃は、栗菓子で有名な竹風堂さんで、
すっごくおいしい鮎の塩焼きに栗おこわ定食などを頂きました。
(今は、この定食の鮎は甘露煮になりました。。。)
また、昔の母屋がレストランで、古いお屋敷は雰囲気抜群、
苔むした、しんとした日本庭園など、子供心に強烈な印象を残しました。

現在では、母屋から見たとなりの敷地に、後から建築された、
大きな栗菓子のショップ、カフェ、レストランがあります。栗のソフトクリームも。

←こちらの可愛い栗マークは、小布施堂さん。
こちらも栗菓子で有名です。






敷地内を流れる用水路すら、風情があります。
鉄分が多いのか、このあたりの滝も用水路の底も
茶色く赤っぽいです。お水はクリアできれい。

昔は、どこの町にもあった光景なのでしょうか。





さてさて、こちら、ダンナ撮影のマンホールのふた。笑

葛飾北斎画みたいですよね。こちらは、まわりの石畳のように
見えるのは、全て栗の木で出来たブロック。栗の小道と呼ばれています。
その横には、葛飾北斎の美術館があります。

小布施は、葛飾北斎が親友をたずね、老後に長く滞在した町。
東京から、何度も訪れていたそうです。
ですから、町のいたるところに、彼の作品が残されていたのです。
山寺の天井一面、お祭りのおみこしへの飾り画。。。
どれも大きくて迫力ある作品たちです。

この日は、気温も高く暑さに弱い私は、もうクラクラ。
おまけに日曜日だったので人も多く、ちょっとビックリ!
さっさとメインストリートを離れ、この小布施出身である祖母の生家へ。
白壁の蔵のような造りの建物、あった、あった、変わっていません。

祖母の実家は、その昔、一階が呉服屋さんで、
二階が、いわゆる金貸しだったそうです。
時代劇に出てくる、いじわるな商人を想像してしまうのは
きっと二階のほうの商売のイメージでしょうか。ニガ笑。

お店のわきにある小道を行きますと、長い土塀の後、
本宅への通用門が見えます。
昭和の初め、祖母はこの家から、長野市の和菓子職人へ嫁ぎ、
のちに、祖母の弟がこの家の主となりました。

祖母も祖母の弟も亡くなった今、ほとんど親戚付き合いも減り、
この家の前を通りかかっても、挨拶しないで写真だけ撮って
通り過ぎてしまうというとんでもない親戚、、、とは私です。
ごめんなさい!



でも、この後、菩提寺へ直行し、ご先祖様のお墓参りを済ませて来ました。