Louis Icart ルイ・イカ―ル
ルイ・イカ―ルの官能的な銅版画をご紹介したのですが、
↓
https://carameldesigns.ocnk.net/product/10359
はじめてイカ―ルを知る方もいらっしゃったようなので、記してみました💛
私がはじめてイカ―ルを知ったのは、アメリカ在住時代だったと思います。その前からも、イメージ的には見たことがあったと思いますが、アーティスト名を知ったり、本物を目にしたのはその当時でした。
日本で言えば【蔵出し】みたいな感じで、実際にお家の中丸ごと解放して、その場で家の中にあるものを販売することがあります。大体は、そのお家のオーナーさんが亡くなったり、お引越しをするため、または、リフォーム前などに開催されます。
知る人ぞ知る地元のディーラーたちが、こぞって集まる場所です!
そういったお家で、イカ―ルの絵画・銅版画が飾られていたこともあり、実際に見て色々と勉強するチャンスがあったのは、ラッキーだったと思います。アンティークレースでもお人形でも、【手にしてみてはじめて分かる何か】が、必ずあります。アンティークがお好きな方なら、きっとお分かりになると思います。現行品やリプロダクションのお品にはない、特別な雰囲気、サイン、素材、ETC...
イカ―ルを仕入れることは、あまりなかったのですが、それでも、アメリカン夫も私も興味があって、オークションハウスでイカ―ルが出ると広告を見れば、見に行ったり。
田舎のオークションで、イカ―ルがオークションに出ると聞いて、嬉々として言ったら見事な(複製・アートプリント)だったなんてこともありました。それを知っていても競りに参加する人も多く、改めてイカ―ルの作品の美しさと人気を知りました。
さて、今回のお品もカリフォルニア州のお金持ちのお宅にあったものです。内容的にかなり、エロティックでショッキングな一場面。調べたらそういうった内容の古典小説の挿絵としての作品で納得。スキャンダラスな一生を送った、、愛に溢れたとも言いますか、そんな女性の一生のお話からの挿絵の銅版画でした。
小説名 Felicia Ou Mes Fredaines
(フェリシアまたは私のフレディネス)
彼の亡くなる3年前のお品です。物語の挿絵の銅版画ですので、場面ごとの挿絵で、確か20パターンくらい仕上げたと資料にありましたが、セピアカラーっぽい色調のものが中心で、パステルカラーが入ったものは稀で、そして他もあまり流通していません。
【ルイ・イカ―ル】
フランスのペインター、銅版画アーティスト、グラフィックデザイナー
1888年、フランス、トゥルーズにて生まれる
1950年、パリにて死す
3歳の頃には、すでにアートでの才能が芽生え始めており、家に訪ねて来た叔母がイカ―ルの絵を見て、その出来具合に驚いたというエピソードが残っています。
パリに出て、当時のポストカード用の仕事で人の作品をコピーする仕事からキャリアを積みますが、すぐに自分のオリジナル作品を出し始め、あっという間に人気アーティストの仲間入りを果たします。
当時は、世界はエドワディアン期からアールデコ期への移り変わりの真っ最中、イカ―ルは、古典美術と新しいアート両方を取り入れ、すぐにパリのファッション関係の会社から、ファッションイラストの仕事が入ります。今でも、アールデコ期の美人画で有名なイカ―ルは、この仕事たちがベースになっています。ちなみに、彼の奥さんが多くの作品のモデルになったと言われています。
時は移り、第一次世界大戦、彼自身もパイロットとして参戦しています。そして、戦争色を強く出したポスターのイラストを出して行きますが、どこか物悲しくそして美しく、独特のポスターたちは、人の心に強く訴えるものがあったと言います。
アートデコ期に全盛期だったイカ―ル。かなりハードスケジュールで作品を数多く世に残しました。フランスを中心としたヨーロッパ市場向けの作品、それと同時にアメリカ市場向けの作品とダブルで製作活動をしていたものも多かったそうです。
そして、彼のアート性はピカソなどにも影響を与えたと言われています。
また、機会があったら、海外時代の仕入れのことなど、記していこうと思います💛
書籍でもご覧頂けます。とてもロマンティックで妖艶で美しい世界です。
英語版
https://www.amazon.co.jp/dp/0764349929?ascsubtag=p_okhwaEOZT2xb0Qlfi7KI65&linkCode=ogi&psc=1&tag=amebablog_st1-22&th=1
↓
https://carameldesigns.ocnk.net/product/10359
はじめてイカ―ルを知る方もいらっしゃったようなので、記してみました💛
私がはじめてイカ―ルを知ったのは、アメリカ在住時代だったと思います。その前からも、イメージ的には見たことがあったと思いますが、アーティスト名を知ったり、本物を目にしたのはその当時でした。
日本で言えば【蔵出し】みたいな感じで、実際にお家の中丸ごと解放して、その場で家の中にあるものを販売することがあります。大体は、そのお家のオーナーさんが亡くなったり、お引越しをするため、または、リフォーム前などに開催されます。
知る人ぞ知る地元のディーラーたちが、こぞって集まる場所です!
そういったお家で、イカ―ルの絵画・銅版画が飾られていたこともあり、実際に見て色々と勉強するチャンスがあったのは、ラッキーだったと思います。アンティークレースでもお人形でも、【手にしてみてはじめて分かる何か】が、必ずあります。アンティークがお好きな方なら、きっとお分かりになると思います。現行品やリプロダクションのお品にはない、特別な雰囲気、サイン、素材、ETC...
イカ―ルを仕入れることは、あまりなかったのですが、それでも、アメリカン夫も私も興味があって、オークションハウスでイカ―ルが出ると広告を見れば、見に行ったり。
田舎のオークションで、イカ―ルがオークションに出ると聞いて、嬉々として言ったら見事な(複製・アートプリント)だったなんてこともありました。それを知っていても競りに参加する人も多く、改めてイカ―ルの作品の美しさと人気を知りました。
さて、今回のお品もカリフォルニア州のお金持ちのお宅にあったものです。内容的にかなり、エロティックでショッキングな一場面。調べたらそういうった内容の古典小説の挿絵としての作品で納得。スキャンダラスな一生を送った、、愛に溢れたとも言いますか、そんな女性の一生のお話からの挿絵の銅版画でした。
小説名 Felicia Ou Mes Fredaines
(フェリシアまたは私のフレディネス)
彼の亡くなる3年前のお品です。物語の挿絵の銅版画ですので、場面ごとの挿絵で、確か20パターンくらい仕上げたと資料にありましたが、セピアカラーっぽい色調のものが中心で、パステルカラーが入ったものは稀で、そして他もあまり流通していません。
【ルイ・イカ―ル】
フランスのペインター、銅版画アーティスト、グラフィックデザイナー
1888年、フランス、トゥルーズにて生まれる
1950年、パリにて死す
3歳の頃には、すでにアートでの才能が芽生え始めており、家に訪ねて来た叔母がイカ―ルの絵を見て、その出来具合に驚いたというエピソードが残っています。
パリに出て、当時のポストカード用の仕事で人の作品をコピーする仕事からキャリアを積みますが、すぐに自分のオリジナル作品を出し始め、あっという間に人気アーティストの仲間入りを果たします。
当時は、世界はエドワディアン期からアールデコ期への移り変わりの真っ最中、イカ―ルは、古典美術と新しいアート両方を取り入れ、すぐにパリのファッション関係の会社から、ファッションイラストの仕事が入ります。今でも、アールデコ期の美人画で有名なイカ―ルは、この仕事たちがベースになっています。ちなみに、彼の奥さんが多くの作品のモデルになったと言われています。
時は移り、第一次世界大戦、彼自身もパイロットとして参戦しています。そして、戦争色を強く出したポスターのイラストを出して行きますが、どこか物悲しくそして美しく、独特のポスターたちは、人の心に強く訴えるものがあったと言います。
アートデコ期に全盛期だったイカ―ル。かなりハードスケジュールで作品を数多く世に残しました。フランスを中心としたヨーロッパ市場向けの作品、それと同時にアメリカ市場向けの作品とダブルで製作活動をしていたものも多かったそうです。
そして、彼のアート性はピカソなどにも影響を与えたと言われています。
また、機会があったら、海外時代の仕入れのことなど、記していこうと思います💛
書籍でもご覧頂けます。とてもロマンティックで妖艶で美しい世界です。
英語版
https://www.amazon.co.jp/dp/0764349929?ascsubtag=p_okhwaEOZT2xb0Qlfi7KI65&linkCode=ogi&psc=1&tag=amebablog_st1-22&th=1